風力発電
風車を回して電気をつくる風力発電が広がっています。昨年、電力各社が、風力で発電された電気の買い取り量を増やす方針を、相次いで打ち出しました。地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)を出さず、しかも、太陽光発電などと比べ、発電コストが低い強みもあります。(田中左千夫)
神田かぶとくん
「冬休みに東北地方に行った時、大きな風車が回っていました」
大手町博士
「風力発電の設備だね。風力発電は太陽光発電などとともに、新エネルギーとか再生可能エネルギーと呼ばれているんだ」
資源エネルギー庁新エネルギー対策課長の渡辺昇治さん
「CO2を減らすため、政府は省エネルギーを推進するとともに、新エネルギーの利用を拡大する政策を打ち出しています。2008年3月末の国内での風力発電の規模は167・5万キロ・ワットですが、30年には最大約660万キロ・ワットを目指しています」
博士
「原子力発電1基がだいたい100万キロ・ワットだから、ほぼ6基分まで拡大したいのだ」
かぶとくん
「風力発電の特徴は何ですか」
渡辺さん
「自然のエネルギーを利用し、発電する時に燃料がいりません。大規模な風力発電なら、発電コストは意外に低く、火力発電よりやや割高なぐらいです」
かぶとくん
「風力で発電している会社があるのですか」
博士
「東京電力などが出資する『ユーラスエナジー』や、電力会社に電気を卸売りしている『電源開発』が代表的だ」
電源開発風力事業室の寺沢英之さん
「当社は、北海道から九州まで9か所で風力発電を行っています。最も大きい福島県郡山市の発電所は、一般家庭約3万5000世帯分の電気をまかなうことができます。発電した電気は、地域の電力会社に売っています」
永田かすみさん
「どれだけ発電しても、全部買ってもらえるのですか」
博士
「いや、電力会社は、風力発電からの買い取りに上限を設けている。ただ、昨年、各電力会社が上限を相次いで引き上げた」
東北電力広報・地域交流部の工藤孝太郎さん
「風力発電は風の強さで発電量が大きく上下するため、電力全体に占める割合が高まると、電気の安定供給に影響を与えるおそれがあります。そこで当社は、52万キロ・ワットの購入枠を定めていました。しかし、これまでの発電実績などを分析したところ、火力発電などの調節によって、85万キロ・ワットまでならば購入しても安定供給できると判断しました」
かぶとくん
「日本の風力発電は外国より進んでますか」
渡辺さん
「日本の発電規模は、世界で13番目です。今は陸地に風車を建てていますが、強い風が安定して吹いている洋上に建てるための調査も行われています」
NPO法人、環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也さん
「例えば、東北電力と東京電力の送電ネットワークを一体化すれば、風の強い東北地方にもっと多くの風車を建てられます。様々な手を打つべきです」
風車の建設費 投資や寄付でかすみさん
「私たちも風力発電にかかわることはできますか」
飯田さん
「個人ひとりひとりが資金を出し合う『市民風車』の仕組みを紹介しましょう。風車を建てるためのファンドを作って、一口数万~数十万円の出資金を広く集めるのです。01年に北海道のNPO法人が建てたのが始まりです。その後、東北地方にも広がり、今までに計10基の風車がこの方式で建てられました」
かすみさん
「寄付をするということですか」
飯田さん
「寄付ではなく投資です。電力会社に電気を売ったもうけが、出資額に応じて分配されます。預金と異なり、元本は全額は保証されませんが、環境に貢献しながら、副収入も期待できる仕組みです。現在募集中のファンドはありませんが、各地で新たなファンドをつくる準備が進んでいます」
かぶとくん
「もっと手軽な方法はありませんか」
博士
「自然エネルギーに寄付をする『グリーン電力基金』という仕組みはどうだろう。一口500円(関西電力管内は100円)を毎月の電気料金に上乗せして払うと、風力発電や太陽光発電の助成金として役立てられる。東京電力の管内では、これまで22か所での風車の建設資金に充てられているんだよ」
国内主要メーカー
Thu 22 Jan’09
世界の自動車市場が「厳冬期」に突入している。08年の米新車販売台数は前年比18・0%の大幅減で16年ぶりの低水準に落ち込んだ。米自動車大手(ビッグ3)のシェアは初めて50%を割り、ゼネラル・モーターズ(GM)などが政府支援を受ける条件として策定中の再建計画は、練り直しを迫られそうだ。日本勢も、トヨタ自動車が95年以来13年ぶりの販売減となるなど、先行き不安は募る一方で、追加的な減産・減員は避けられそうにない。
◇「週末も客来ない」 ローン審査厳しく、計画練り直し必至
「週末でも客が来ないし、せっかく来てもローンを組めない。これで売れるわけないじゃないか」。年明け後も客がまばらなゼネラル・モーターズ(GM)系列の販売店主は、出口の見えない自動車不況を嘆いた。
昨年9月中旬の証券大手リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)劇以降、金融危機は一段と深刻化し、金融機関の貸し出し余力が極端に低下。影響は企業向け融資だけでなく、消費者向けの融資にも及び、自動車ローンの審査はかつてないほど厳しくなった。そこに追い打ちをかけたのが、住宅や株式など資産価格の急落だ。米国の消費者はこれまで、住宅の値上がり分を担保にして新たな借金を重ね、消費に回してきた。それが、米国の経済成長のけん引役でもあった。
ところが、「打ち出の小づち」だったはずの住宅価格の急落で、新たな借金をできない消費者が続出。雇用情勢の悪化も生活の先行きに対する不安に拍車をかけており、「戦後最悪」といわれる自動車販売の回復は当面、見込めそうにない。
こうした中、政府から緊急融資を受けたGMとクライスラーを取り巻く環境は一段と厳しさを増している。米国市場でのGMの年間新車販売台数は前年に比べ22・6%減り、クライスラーも30・0%の大幅減となった。
特にクライスラーは、12月の新車販売台数が前年同月比53%減と半分以下に落ち込み、3月末までに政府に提出する経営再建計画の前提となる販売台数見通しの再修正を迫られるのは必至だ。ワゴナー会長が「徹底したリストラを断行して生まれ変わる」と宣言したGMも、販売の落ち込みで一段と厳しい計画策定を迫られることになりそうだ。
オバマ政権の誕生で、「ビッグ3への支援継続の公算は大きくなった」との見方が増えている。だが、肝心の販売台数が回復しなければ再建は難しく、税金を無駄に費やすことにもなりかねない。オバマ次期大統領の判断にも、販売不振が影響を与えそうだ。【ワシントン斉藤信宏】
◇日本メーカーも直撃
米国市場の急激な縮小は、日本メーカーも直撃している。トヨタやホンダの12月の米新車販売台数はGMを上回る減少率になった。国内販売も08年は28年ぶりの低水準に落ち込み「世界経済がどこまで落ちるのか分からない」(トヨタの渡辺捷昭(かつあき)社長)状況で、さらなる減産や業績悪化の懸念が高まっている。
08年の米新車販売はトヨタが前年比15・4%減でホンダも7・9%減、日産自動車は10・9%減。特に12月はトヨタが前年同月比36・7%減、ホンダも34・7%減とGMの31%減、フォードの31・6%減を超える下落率で、日本メーカーの不振が際立った。
燃費のよい小型車が得意な日本メーカーは昨夏までのガソリン高でも好調で、昨年7月には初めてビッグ3のシェアを抜いた。しかし9月に金融危機が深刻化し世界不況の懸念が強まるに従い「燃費が良かろうが安かろうが売れない」(大手幹部)事態となった。
国内市場も08年は前年比5・1%減の508万台とピークの90年の3分の2に縮小した。秋以降、輸出産業を中心に減産や人員削減が加速し「消費者心理が冷え込んだ影響も大きい」(志賀俊之・日産最高執行責任者)。
国内主要メーカー12社は昨年末までに、国内外で240万台規模で減産し、国内1万7000人以上の非正規従業員の削減を決めた。しかし年明け後もトヨタが2、3月に国内全12工場の操業を11日間停止すると決めるなど減産・減員に歯止めはかかっていない。昨年末に09年3月期に連結営業赤字に陥るとの見通しを発表したトヨタに続き「赤字転落する企業が相次ぐのではないか」との見方が業界関係者の間では強まっている。
◇「週末も客来ない」 ローン審査厳しく、計画練り直し必至
「週末でも客が来ないし、せっかく来てもローンを組めない。これで売れるわけないじゃないか」。年明け後も客がまばらなゼネラル・モーターズ(GM)系列の販売店主は、出口の見えない自動車不況を嘆いた。
昨年9月中旬の証券大手リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)劇以降、金融危機は一段と深刻化し、金融機関の貸し出し余力が極端に低下。影響は企業向け融資だけでなく、消費者向けの融資にも及び、自動車ローンの審査はかつてないほど厳しくなった。そこに追い打ちをかけたのが、住宅や株式など資産価格の急落だ。米国の消費者はこれまで、住宅の値上がり分を担保にして新たな借金を重ね、消費に回してきた。それが、米国の経済成長のけん引役でもあった。
ところが、「打ち出の小づち」だったはずの住宅価格の急落で、新たな借金をできない消費者が続出。雇用情勢の悪化も生活の先行きに対する不安に拍車をかけており、「戦後最悪」といわれる自動車販売の回復は当面、見込めそうにない。
こうした中、政府から緊急融資を受けたGMとクライスラーを取り巻く環境は一段と厳しさを増している。米国市場でのGMの年間新車販売台数は前年に比べ22・6%減り、クライスラーも30・0%の大幅減となった。
特にクライスラーは、12月の新車販売台数が前年同月比53%減と半分以下に落ち込み、3月末までに政府に提出する経営再建計画の前提となる販売台数見通しの再修正を迫られるのは必至だ。ワゴナー会長が「徹底したリストラを断行して生まれ変わる」と宣言したGMも、販売の落ち込みで一段と厳しい計画策定を迫られることになりそうだ。
オバマ政権の誕生で、「ビッグ3への支援継続の公算は大きくなった」との見方が増えている。だが、肝心の販売台数が回復しなければ再建は難しく、税金を無駄に費やすことにもなりかねない。オバマ次期大統領の判断にも、販売不振が影響を与えそうだ。【ワシントン斉藤信宏】
◇日本メーカーも直撃
米国市場の急激な縮小は、日本メーカーも直撃している。トヨタやホンダの12月の米新車販売台数はGMを上回る減少率になった。国内販売も08年は28年ぶりの低水準に落ち込み「世界経済がどこまで落ちるのか分からない」(トヨタの渡辺捷昭(かつあき)社長)状況で、さらなる減産や業績悪化の懸念が高まっている。
08年の米新車販売はトヨタが前年比15・4%減でホンダも7・9%減、日産自動車は10・9%減。特に12月はトヨタが前年同月比36・7%減、ホンダも34・7%減とGMの31%減、フォードの31・6%減を超える下落率で、日本メーカーの不振が際立った。
燃費のよい小型車が得意な日本メーカーは昨夏までのガソリン高でも好調で、昨年7月には初めてビッグ3のシェアを抜いた。しかし9月に金融危機が深刻化し世界不況の懸念が強まるに従い「燃費が良かろうが安かろうが売れない」(大手幹部)事態となった。
国内市場も08年は前年比5・1%減の508万台とピークの90年の3分の2に縮小した。秋以降、輸出産業を中心に減産や人員削減が加速し「消費者心理が冷え込んだ影響も大きい」(志賀俊之・日産最高執行責任者)。
国内主要メーカー12社は昨年末までに、国内外で240万台規模で減産し、国内1万7000人以上の非正規従業員の削減を決めた。しかし年明け後もトヨタが2、3月に国内全12工場の操業を11日間停止すると決めるなど減産・減員に歯止めはかかっていない。昨年末に09年3月期に連結営業赤字に陥るとの見通しを発表したトヨタに続き「赤字転落する企業が相次ぐのではないか」との見方が業界関係者の間では強まっている。
— posted by サイト管理者 at 06:27 pm
チームに対する処分
Fri 09 Jan’09
ラグビー・トップリーグ、東芝所属のトンガ人選手、イオンギ・ヴィヴィリ・ヘロトウケィ容疑者(24)が窃盗容疑で逮捕された事件で、日本ラグビー協会は6日、イオンギ容疑者を公式試合の無期限出場停止処分とした。
チームに対する処分は行わず、リーグ戦残り2試合と、すでに進出を決めている上位4チームによるプレーオフには出場できる。
東芝は6日、対応を協議し、イオンギ容疑者を事実関係を再確認した上で退部とし、青木利弘ラグビー部長が辞任、瀬川智広監督を今季終了まで謹慎とする処分を決定した。同社はイオンギ容疑者との選手契約を解除し、会社も解雇となる見通し。
同社は「協会と相談し、事件は個人が起こしたことなので、監督責任を取り、チームの活動は継続させていただくことにした」と説明した。部長は当面、空席とし、和田賢一コーチが残りのシーズンは監督代行として指揮を執る。
「奇跡は信じるだけでは起きない。起こそうとすれば起きる」。東洋大の1年生、柏原はこの言葉が好きだ。トップの早大と4分58秒遅れの9位。絶望的な大差でたすきを受け取った。山登りの5区。「どうせつぶれるんなら、ガンガンいってつぶれよう」。1時間17分後、起こそうとしたことが起きた。「怪物」と言われた力は本物だった。
力強いキックで前の選手を次々にとらえ、19キロ過ぎで早大・三輪を抜く。ただ、上りを終えて苦手な下り坂に入っていた。「まずいかな」と一瞬思った。案の定、三輪に巻き返された。並んだ。そこから気持ちを切り替えた。「きらいなものから逃げたら勝てない」。我慢して平地で勝負と決め、やってのけた。同じ福島県出身の先輩で、目標にしていた今井正人(順大、現トヨタ自動車九州)の区間記録を47秒上回った。
福島・いわき総合高時代は全国高校総体とは無縁。貧血が改善されて高校3年の秋ごろから記録が伸び始め、当時東洋大のコーチでスカウト役でもあった佐藤監督代行に声をかけられた。「高校で陸上をやめて就職しようか」とあきらめかけていた道が開けた。
柏原を見ていると、練習でも試合でも与えられた環境に感謝しているのが分かる。「こんな大舞台で走れるなんて。楽しいです。最初の1キロで泣きそうになりました」
1カ月前、陸上部員の不祥事で川嶋監督が辞任した。5日間の練習自粛。調整は遅れた。「自分ががんばらないとだめになる」。そう思って練習を引っ張ったスーパールーキーは、あっという間にチームの大黒柱になった。
チームに対する処分は行わず、リーグ戦残り2試合と、すでに進出を決めている上位4チームによるプレーオフには出場できる。
東芝は6日、対応を協議し、イオンギ容疑者を事実関係を再確認した上で退部とし、青木利弘ラグビー部長が辞任、瀬川智広監督を今季終了まで謹慎とする処分を決定した。同社はイオンギ容疑者との選手契約を解除し、会社も解雇となる見通し。
同社は「協会と相談し、事件は個人が起こしたことなので、監督責任を取り、チームの活動は継続させていただくことにした」と説明した。部長は当面、空席とし、和田賢一コーチが残りのシーズンは監督代行として指揮を執る。
「奇跡は信じるだけでは起きない。起こそうとすれば起きる」。東洋大の1年生、柏原はこの言葉が好きだ。トップの早大と4分58秒遅れの9位。絶望的な大差でたすきを受け取った。山登りの5区。「どうせつぶれるんなら、ガンガンいってつぶれよう」。1時間17分後、起こそうとしたことが起きた。「怪物」と言われた力は本物だった。
力強いキックで前の選手を次々にとらえ、19キロ過ぎで早大・三輪を抜く。ただ、上りを終えて苦手な下り坂に入っていた。「まずいかな」と一瞬思った。案の定、三輪に巻き返された。並んだ。そこから気持ちを切り替えた。「きらいなものから逃げたら勝てない」。我慢して平地で勝負と決め、やってのけた。同じ福島県出身の先輩で、目標にしていた今井正人(順大、現トヨタ自動車九州)の区間記録を47秒上回った。
福島・いわき総合高時代は全国高校総体とは無縁。貧血が改善されて高校3年の秋ごろから記録が伸び始め、当時東洋大のコーチでスカウト役でもあった佐藤監督代行に声をかけられた。「高校で陸上をやめて就職しようか」とあきらめかけていた道が開けた。
柏原を見ていると、練習でも試合でも与えられた環境に感謝しているのが分かる。「こんな大舞台で走れるなんて。楽しいです。最初の1キロで泣きそうになりました」
1カ月前、陸上部員の不祥事で川嶋監督が辞任した。5日間の練習自粛。調整は遅れた。「自分ががんばらないとだめになる」。そう思って練習を引っ張ったスーパールーキーは、あっという間にチームの大黒柱になった。
— posted by サイト管理者 at 07:13 pm
言葉を文字に置き換えるのに非常に苦労した
Sat 27 Dec’08
序第3段 『古事記』の成立
ここでは、元明天皇の世となって安万侶に詔が下り、稗田阿禮の暗誦を撰録した経緯を述べ、最後に内容の区分について記している。経緯では、言葉を文字に置き換えるのに非常に苦労した旨が具体的に記されている。
…ここに、旧辞の誤りたがへるを惜しみ、先紀の謬り錯(まじ)れるを正さむとして、和銅四年九月十八日をもちて、臣安麻呂に詔りして、阿禮阿禮の誦む所の勅語の旧辞を撰録して献上せしむるといへれば、謹みて詔旨(おほみこと)の随(まにま)に、子細に採りひろひぬ。然れども、上古の時、言意(ことばこころ)並びに朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなはち難し。…(於焉惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶 撰録稗田阿禮所誦之勅語舊辭 以獻上者 謹隨詔旨 子細採摭然、上古之時 言意並朴 敷文構句 於字即難)
…大抵記す所は、天地開闢より始めて、小治田(をはりだ)の御世に訖(をは)る。故、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)以下、日子波限建鵜草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)以前を上巻となし、神倭伊波禮毘古天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)以下、品蛇御世(ほむだのみよ)以前を中巻となし、大雀皇帝(おほさぎのみかど)以下、小治田大宮(をはりだのおほみや)以前を下巻となし、併せて三巻を録して、謹みて献上る。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。(大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世 故天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷 神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷 大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷 并録三卷 謹以獻上 臣安萬侶 誠惶誠恐頓首頓首)
和銅五年正月二十八日 正五位上勲五等太朝臣安萬侶
[編集] 上巻(かみつまき)
天地開闢から日本列島の形成と国土の整備が語られ、天孫が降臨し山幸彦までの神代の話を記す。いわゆる「日本神話」である。
天地開闢とともに様々な神が生まれたとあり、その最後にイザナギ、イザナミが生まれた。二神は高天原(天)から葦原中津国(地上世界)に降り、結婚して結ばれ、その子として、大八島国を産み、ついで山の神、海の神などアニミズム的な様々な神を産んだ。こうした国産みの途中、イザナミは火の神を産んだため、火傷を負い死んでしまった。そのなきがらは出雲と伯耆の堺の比婆山(現;島根県安来市)に葬られた。イザナギはイザナミを恋しがり、黄泉の国(死者の世界)を訪れ連れ戻そうとするが、連れ戻せず、国産みは未完成のまま終わってしまう。
イザナギは、黄泉の国の穢れを落とすため、禊を行い、左目を洗った時に天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目を洗った時に月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗った時に須佐之男命(スサノオノミコト)を産む。その後、最初に生んだ淡路島の幽宮で過ごした。これら三神は、三貴子と呼ばれ、神々の中で重要な位置をしめるのだが、月読命に関しては、その誕生後の記述が一切ない。スサノオノミコトは乱暴者なため、姉の天照大御神に反逆を疑われる。そこで、天照大御神とスサノオノミコトは心の潔白を調べる誓約を行う。その結果、スサノオノミコトは潔白を証明するが、調子に乗って狼藉を働いてしまう。我慢の限度を越えた天照大御神は、天岩屋戸に閉じこもるが、集まった諸神の知恵で引き出すことに成功する。
一方スサノオノミコトは神々の審判を受けて高天原を追放され、葦原中津国の出雲国に下る。ここまでは乱暴なだけだったスサノオノミコトの様相は変化し、英雄的なものとなって有名なヤマタノオロチ退治を行なう。次に、スサノオノミコトの子孫である大国主神が登場する。大国主の稲羽の素兎(因幡の白兎)や求婚と受難の話が続き(大国主の神話)、スクナヒコナと供に国作りを進めたことが記される。国土が整うと国譲りの神話に移る。天照大御神は、葦原中津国の統治権を天孫に委譲することを要求し、大国主と子供の事代主神はそれを受諾する。しかし、子の建御名方神は、始めは承諾せず抵抗するが、後に受諾する。葦原中津国の統治権を得ると高天原の神々は天孫ニニギを日向の高千穂に降臨させる。次にニニギの子供の山幸彦と海幸彦の説話となり、浦島太郎の説話のルーツとも言われる、海神の宮殿の訪問や異族の服属の由来などが語られる。山幸彦は海神の娘と結婚し、彼の孫の神武天皇が誕生することをもって、上巻は終わる。
分かりました。
ここでは、元明天皇の世となって安万侶に詔が下り、稗田阿禮の暗誦を撰録した経緯を述べ、最後に内容の区分について記している。経緯では、言葉を文字に置き換えるのに非常に苦労した旨が具体的に記されている。
…ここに、旧辞の誤りたがへるを惜しみ、先紀の謬り錯(まじ)れるを正さむとして、和銅四年九月十八日をもちて、臣安麻呂に詔りして、阿禮阿禮の誦む所の勅語の旧辞を撰録して献上せしむるといへれば、謹みて詔旨(おほみこと)の随(まにま)に、子細に採りひろひぬ。然れども、上古の時、言意(ことばこころ)並びに朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなはち難し。…(於焉惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶 撰録稗田阿禮所誦之勅語舊辭 以獻上者 謹隨詔旨 子細採摭然、上古之時 言意並朴 敷文構句 於字即難)
…大抵記す所は、天地開闢より始めて、小治田(をはりだ)の御世に訖(をは)る。故、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)以下、日子波限建鵜草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)以前を上巻となし、神倭伊波禮毘古天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)以下、品蛇御世(ほむだのみよ)以前を中巻となし、大雀皇帝(おほさぎのみかど)以下、小治田大宮(をはりだのおほみや)以前を下巻となし、併せて三巻を録して、謹みて献上る。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。(大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世 故天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷 神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷 大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷 并録三卷 謹以獻上 臣安萬侶 誠惶誠恐頓首頓首)
和銅五年正月二十八日 正五位上勲五等太朝臣安萬侶
[編集] 上巻(かみつまき)
天地開闢から日本列島の形成と国土の整備が語られ、天孫が降臨し山幸彦までの神代の話を記す。いわゆる「日本神話」である。
天地開闢とともに様々な神が生まれたとあり、その最後にイザナギ、イザナミが生まれた。二神は高天原(天)から葦原中津国(地上世界)に降り、結婚して結ばれ、その子として、大八島国を産み、ついで山の神、海の神などアニミズム的な様々な神を産んだ。こうした国産みの途中、イザナミは火の神を産んだため、火傷を負い死んでしまった。そのなきがらは出雲と伯耆の堺の比婆山(現;島根県安来市)に葬られた。イザナギはイザナミを恋しがり、黄泉の国(死者の世界)を訪れ連れ戻そうとするが、連れ戻せず、国産みは未完成のまま終わってしまう。
イザナギは、黄泉の国の穢れを落とすため、禊を行い、左目を洗った時に天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目を洗った時に月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗った時に須佐之男命(スサノオノミコト)を産む。その後、最初に生んだ淡路島の幽宮で過ごした。これら三神は、三貴子と呼ばれ、神々の中で重要な位置をしめるのだが、月読命に関しては、その誕生後の記述が一切ない。スサノオノミコトは乱暴者なため、姉の天照大御神に反逆を疑われる。そこで、天照大御神とスサノオノミコトは心の潔白を調べる誓約を行う。その結果、スサノオノミコトは潔白を証明するが、調子に乗って狼藉を働いてしまう。我慢の限度を越えた天照大御神は、天岩屋戸に閉じこもるが、集まった諸神の知恵で引き出すことに成功する。
一方スサノオノミコトは神々の審判を受けて高天原を追放され、葦原中津国の出雲国に下る。ここまでは乱暴なだけだったスサノオノミコトの様相は変化し、英雄的なものとなって有名なヤマタノオロチ退治を行なう。次に、スサノオノミコトの子孫である大国主神が登場する。大国主の稲羽の素兎(因幡の白兎)や求婚と受難の話が続き(大国主の神話)、スクナヒコナと供に国作りを進めたことが記される。国土が整うと国譲りの神話に移る。天照大御神は、葦原中津国の統治権を天孫に委譲することを要求し、大国主と子供の事代主神はそれを受諾する。しかし、子の建御名方神は、始めは承諾せず抵抗するが、後に受諾する。葦原中津国の統治権を得ると高天原の神々は天孫ニニギを日向の高千穂に降臨させる。次にニニギの子供の山幸彦と海幸彦の説話となり、浦島太郎の説話のルーツとも言われる、海神の宮殿の訪問や異族の服属の由来などが語られる。山幸彦は海神の娘と結婚し、彼の孫の神武天皇が誕生することをもって、上巻は終わる。
分かりました。
— posted by サイト管理者 at 05:11 pm
鰹節の消費地から遠い
Sat 13 Dec’08
鰹節(かつおぶし)は、カツオを原料とする日本の保存食品。
基本的には魚体を三枚以上におろし、「節」(ふし)と呼ばれる舟方に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。
加工工程の差異によって、鰹を茹で干したのみのもの(なまり節)、それを燻製にした荒節、さらにカビを付けることにより水分を抜きながら熟成させた枯節がある。通常よく知られている鰹節はカビまで生やしたものであるが、いずれも広くは鰹節と呼ぶ。「鰹節」の称は燻製法ができる江戸時代以前から既に用いられている。
うま味成分のイノシン酸を多量に含有し、調味料として好んで用いられる。ビタミンB群など栄養分を豊富に含む。
また、カビを生やした枯節(かれぶし)と呼ばれる種類の鰹節は、うま味成分やビタミン類が他の鰹節より多く含まれ、高級品として扱われている。
モルディブなどにも類似した加工食品が存在する。
目次 [非表示]
1 歴史
1.1 燻乾法以前
1.2 燻乾法の確立
1.3 削り節の改良
2 用途
3 伝統的製法の例
4 他の魚を用いたもの
5 その他
6 関連項目
7 外部リンク
[編集] 歴史
[編集] 燻乾法以前
カツオ自体は古くから日本人の食用となっており、縄文時代にはすでに食べられていた形跡がある(青森県の八戸遺跡など)。5世紀頃には干しカツオが作られていたとみられるが、これらは現在の鰹節とはかなり異なったものであったようだ(記録によるといくつかの製法があったようだが、干物に近いものであったと思われる)。
飛鳥時代(6世紀末-710年)の701年には大宝律令・賦役令により、この干しカツオなど(製法が異なる「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」に分類されている)が献納品として指定される。うち「堅魚」は、伊豆・駿河・志摩・相模・安房・紀伊・阿波・土佐・豊後・日向から献納されることとなった。
現在の鰹節に比較的近いものが出現するのは室町時代(1338年-1573年)である。1489年のものとされる「四条流包丁書」の中に「花鰹」の文字があり、これはカツオ産品を削ったものと考えられることから、単なる干物ではない、かなりの硬さのものとなっていたことが想像できる。
[編集] 燻乾法の確立
江戸時代に紀州印南浦(現和歌山県日高郡印南町)の甚太郎という人物が燻製で魚肉中の水分を除去する燻乾法(焙乾法とも)を考案し、現在の荒節に近いものが作られるようになった。焙乾法で作られた鰹節は熊野節として人気を呼び、土佐藩は藩を上げて熊野節の製法を導入したという。
大坂・江戸などの鰹節の消費地から遠い土佐ではカビの発生に悩まされたが、逆にカビを利用して乾燥させる方法が考案された。この改良土佐節は大坂や江戸までの長期輸送はもちろん、消費地での長期保存にも耐えることができたばかりか味もよいと評判を呼び、土佐節の全盛期を迎える。改良土佐節は燻乾法を土佐に伝えた甚太郎の故郷に教えた以外は土佐藩の秘伝とされたが、印南浦の土佐与一(とさのよいち)という人物が安永10年(1781年)に安房へ、 享和元年(1801年)に伊豆へ製法を広めてしまったほか、別の人物が薩摩にも伝えてしまい、のちに土佐節・薩摩節・伊豆節が三大名産品と呼ばれるようになる。カビを用いて乾燥させた節を枯節と呼び、カビは当初自然発生させていたが、昭和以降は純粋培養したカツオブシカビ(コウジカビの一種)を噴霧することで完成までの日数短縮と、好ましくないカビが発生する問題の回避を行なうのが主流になっている。
以後、薩摩や土佐、阿波、紀伊、伊豆など太平洋沿岸のカツオ主産地で多く生産された。江戸期には国内での海運が盛んになり、九州や四国などの鰹節も江戸に運ばれるようになり、遠州(静岡)の「清水節」、薩摩の「屋久島節」などを大関とする鰹節の番付表が作成された。
参考にしています。
基本的には魚体を三枚以上におろし、「節」(ふし)と呼ばれる舟方に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。
加工工程の差異によって、鰹を茹で干したのみのもの(なまり節)、それを燻製にした荒節、さらにカビを付けることにより水分を抜きながら熟成させた枯節がある。通常よく知られている鰹節はカビまで生やしたものであるが、いずれも広くは鰹節と呼ぶ。「鰹節」の称は燻製法ができる江戸時代以前から既に用いられている。
うま味成分のイノシン酸を多量に含有し、調味料として好んで用いられる。ビタミンB群など栄養分を豊富に含む。
また、カビを生やした枯節(かれぶし)と呼ばれる種類の鰹節は、うま味成分やビタミン類が他の鰹節より多く含まれ、高級品として扱われている。
モルディブなどにも類似した加工食品が存在する。
目次 [非表示]
1 歴史
1.1 燻乾法以前
1.2 燻乾法の確立
1.3 削り節の改良
2 用途
3 伝統的製法の例
4 他の魚を用いたもの
5 その他
6 関連項目
7 外部リンク
[編集] 歴史
[編集] 燻乾法以前
カツオ自体は古くから日本人の食用となっており、縄文時代にはすでに食べられていた形跡がある(青森県の八戸遺跡など)。5世紀頃には干しカツオが作られていたとみられるが、これらは現在の鰹節とはかなり異なったものであったようだ(記録によるといくつかの製法があったようだが、干物に近いものであったと思われる)。
飛鳥時代(6世紀末-710年)の701年には大宝律令・賦役令により、この干しカツオなど(製法が異なる「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」に分類されている)が献納品として指定される。うち「堅魚」は、伊豆・駿河・志摩・相模・安房・紀伊・阿波・土佐・豊後・日向から献納されることとなった。
現在の鰹節に比較的近いものが出現するのは室町時代(1338年-1573年)である。1489年のものとされる「四条流包丁書」の中に「花鰹」の文字があり、これはカツオ産品を削ったものと考えられることから、単なる干物ではない、かなりの硬さのものとなっていたことが想像できる。
[編集] 燻乾法の確立
江戸時代に紀州印南浦(現和歌山県日高郡印南町)の甚太郎という人物が燻製で魚肉中の水分を除去する燻乾法(焙乾法とも)を考案し、現在の荒節に近いものが作られるようになった。焙乾法で作られた鰹節は熊野節として人気を呼び、土佐藩は藩を上げて熊野節の製法を導入したという。
大坂・江戸などの鰹節の消費地から遠い土佐ではカビの発生に悩まされたが、逆にカビを利用して乾燥させる方法が考案された。この改良土佐節は大坂や江戸までの長期輸送はもちろん、消費地での長期保存にも耐えることができたばかりか味もよいと評判を呼び、土佐節の全盛期を迎える。改良土佐節は燻乾法を土佐に伝えた甚太郎の故郷に教えた以外は土佐藩の秘伝とされたが、印南浦の土佐与一(とさのよいち)という人物が安永10年(1781年)に安房へ、 享和元年(1801年)に伊豆へ製法を広めてしまったほか、別の人物が薩摩にも伝えてしまい、のちに土佐節・薩摩節・伊豆節が三大名産品と呼ばれるようになる。カビを用いて乾燥させた節を枯節と呼び、カビは当初自然発生させていたが、昭和以降は純粋培養したカツオブシカビ(コウジカビの一種)を噴霧することで完成までの日数短縮と、好ましくないカビが発生する問題の回避を行なうのが主流になっている。
以後、薩摩や土佐、阿波、紀伊、伊豆など太平洋沿岸のカツオ主産地で多く生産された。江戸期には国内での海運が盛んになり、九州や四国などの鰹節も江戸に運ばれるようになり、遠州(静岡)の「清水節」、薩摩の「屋久島節」などを大関とする鰹節の番付表が作成された。
参考にしています。
— posted by サイト管理者 at 12:22 pm














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